第二幕
+その瞳に不思議な光をもった彼。+
一旦、私は施設へ戻ることにした。
もうこの時間はみんな登校して、そろそろ授業でも始まっている頃だろう。
人込みをぬけ、施設への道をたどる。
そのうち人を避けてゆくのが面倒になって、路地裏を行くことにした。
あるビルとビルの間に、人が一人なら入っていけそうな隙間がある。
そこから路地裏へ出る。
私は影の落ちた隙間へ入っていく。
ビルの壁には大胆な落書きが、スプレーでしてあった。
ゴミ箱が傍にあって、入りきらなくなったごみが道に落ちている。
異様な臭いがせまい隙間に立ち込めていた。
思わず息を止めてしまう。
少し行くと、広い道に出た。
が、表通りとは違って暗い。
湿った風が通り抜けてゆく。
──少しほっとする。
なんの音もなく、静寂を保っているこの空間が私は好きだ。
耳を劈くような騒音も、人の話し声も、全く聞こえない。
安心する。
何故だか分からない。
あのたくさんの音が嫌いなのだろうか。
分からないが、とにかくこの空間が一番私の好きな場所。
ただ、気の短いヤツが時々いるっていうのが欠点であるが。
と、そんなことを思っているうちに、私が行きたい方向から何人かの金髪や銀髪など、色とりどりな髪の集団がこちらにやってきた。
(げ・・・最悪・・・)
思いっきりしかめ面をしてしまう。
が、気にしないで普通に通ることにした。
うん、それが一番だ。
そうすれば、なんとか争いごとはまぬがれるだろう。
・・・きっと。
・・・いや、たぶん?
・・・・・・平気だろうか。
なんとか、平常を保ちながら集団の横を通る。
その集団も私に気づいていないかのように通ってゆく。
最後尾が見えてきたところで、少し緊張をゆるめる。
(よし・・・あと少し・・・)
それが、その少しの油断がいけなかった。
もうあと少し、というところで最後尾のヤツと肩がぶつかった。
「っ・・・」
「ってぇな、このっ!!!」
や・・・やってしまった。
金髪で耳にたくさんピアスをつけた男が、こちらを振り向きざまに罵声を浴びせてくる。
「何ちんたら歩いてんだ、ああ?!」
「おい、どうした」
他の男たちもこちらへ集まってくる。
あっという間に、周りを囲まれてしまった。
後ろは壁。逃げる隙間はない。
男たちの人数はざっと数えて五人。
「こいつが俺にぶつかってきやがったんだ!くそっ」
ぶつかった男が壁を荒々しく蹴る。
「ああ?」
「おい、お前どこ見て歩いてんだ、コラ。」
「どこ見てって・・・前ですけど。」
もうこうなったら真正面からやるしかない。
困ったな・・・
「っていうか、そっちこそちゃんと前向いて歩いたらどうですか?迷惑ですよ、こんな大人数がこんな狭いところ歩いてたら。」
「なんだと?」
「口答えしてんじゃねェよ!!」
「口に気をつけろよ、ガキが!!」
横から大きな拳が飛んでくる。
私はそれを間一髪のところで受け止めた。
「っ・・・」
「生意気なんだよ、お前!」
間髪いれずに、左右の奴らに両腕を掴まれ、壁に押し付けられる。
と、その途端に頭に鋭い痛みが走った。
「っあ」
目の前が一瞬暗くなって体から力が抜ける。
ヤバイ、と思ったときにはもう一発、顔面に向かって拳が飛んできていた。
体に力を入れなおして、目をつぶる。
がっ
音がした。
何かを殴る音。
でも、私にはなんの衝撃もない。
「え・・・?」
恐る恐る目を開けると、目の前には見知らぬ少年が立っていて、今まさに私を殴りかかろうとしていた男の手を受け止めていた。
「何やってんだ。」
「・・・離せよ、。お前まで殴られたいのか。」
男が灯夜と呼んだその少年は、茶髪にピアスをしていて、見た感じでは私と同じ年ぐらいだった。
「何やってんだよ、お前ら。こんなとこで。暴力沙汰なんかになったらポリ公に追いかけられるぜ?」
「チッ・・・うるせぇな!こいつ一発殴ったらさっさと帰るつもりだったんだよ!邪魔するんじゃねぇよ、灯夜!」
「だから、それが暴力だろ。なんで分かんねぇんだよ。」
やれやれ、という感じに灯夜がため息をつく。
「殴られたいのか、灯夜!」
男は完全にぶち切れている。
「殴られたいわけないだろ。お前らこそオレとそこの奴、殴ったらどうなるか分かってんだろうな?」
そう言った灯夜は、冷静ながらもなにか謎めいたものを持っていた。
「っ・・・分あったよ!引き上げりゃいいんだろ?!おら、行くぞ。」
他の男達は、どこかやりたりないといった表情を浮かべながらも、しぶしぶ引いていった。
男達が完全に行ってしまうのを見届けた灯夜も、その場から離れようとした。
その前にちらりとこちらを振り向き、
「次から気をつけるんだな、おじょーさん。」
と、私を馬鹿にするかのようにそう言って別に何もなかったかのように去っていった。
呆然と灯夜を見送る。
灯夜の背中が見えなくなると、わなわなと震える体を押さえ、深く息を吸って止める。
そして大声で叫んでやった。
「馬鹿にすんなよ、クソ野郎―っ!!!」
その声は誰にも届いてはいなかった。否、聞こえていなかった。
+++
施設に裏門から入った。
誰にも見つからないように気をつけながら、自分の部屋の窓を音を立てないように静かに開け、靴を脱いでから入る。
ほとんど物のない殺風景な部屋を見渡す。
あるのは、机と、棚と、ベッドだけ。
誰かが入ってきたときに、見つからないように机の下に靴を入れなおす。
暗幕を閉めて、外からの光を遮断してしまう。
小さく息を吐くと、椅子に倒れるように座った。
「クソ・・・馬鹿にしやがってあの野郎・・・」
額に青筋が浮かぶのを感じながら、天井を見上げる。
白い壁紙が湿気か何かによって、ところどころ軽くはがれている。
すう、と静かに目を閉じた。
瞼の裏に現れたのは、灯夜と呼ばれた少年のあの時のあの瞳。
「殴ったらどうなるか分かってんだろうな?」
あの台詞を吐いたときの灯夜の目の奥に、不思議な光を見たような気がした。
殺気とかじゃない。殴ってやるとか、蹴ってやるとか、そう言っている目ではなかった。
うまく言葉では表せないような・・・不思議な光。
何ナンダ、アレハ。
彼は私に謎だけを残して去ってしまった。
でも、なんでだろう。
再び会える気がする。
探さなくても、見えない力がゆっくりと動いて、再び会うことになるような気がする。
近いうちに。きっと。
予想に近い確信だった。
+++
不思議な光。
それを宿した彼の瞳。
また、会える。
会ったときに、きっとなにか分かるだろう。
それまで、ゆっくり待つことにしよう。
再会を待つその間、少し眠る
ことにしようかしら。