第一幕
+消えてなくなってしまえばいい。+

「チ・・・チチッ・・・」

小鳥の囀る声がする。
カーテンの隙間から入った朝の光が、私の目を容赦なく差す。
いつもとさして変わらない、朝。

「・・・夢」

さっきまで見ていたソレを確認するかのように、小さく声に出した。

色と音を忘れ去った白の世界。
体を流れてゆく雨。
腕を伝う血。
白の世界に咲いた紅の花。

“目に見える死の世界”

毎晩、私はその世界にいる。
いつも同じ夢の世界。
それは、私を“おいで、おいで”と誘っているようにも思えた。

いつか、私をその世界へ引っ張っていくのだろうか・・・?

腕を額にやる。
小さな汗の粒が、うっすら浮かんでいた。
だが、それも腕に巻いていた包帯に吸い取られて消えていく。
ふ、と視線を腕にやる。
擦り切れ、ところどころ紅く滲んだ包帯が乱暴に巻いてある。
その隙間からは、生々しい傷跡がいくつものぞいていた。
手を天井に向かって伸ばす。
腕が動くことを確かめるかのように、手のひらを開いたり閉じたりを何回か繰り返した。
私はソレを無感情にしばらく見つめると、ベッドから降りた。
ベッドはぎしぎしとうるさい音を立てる。

「うるさい・・・っ」

八つ当たりでベッドを蹴っ飛ばす。
壁まで衝撃が伝わり、どん、と以外に大きな音がした。

「・・・ちっ」

軽く舌打ちすると、手早く服を着替え、ズボンに財布を突っ込む。>br> 机の下に置いてあった泥にまみれた靴を引っつかむと、私は窓から外へ出た。

+++

昨日から雨が降ったりやんだりを繰り返していた。
今は降っていないが、そのうち降り出すだろう。
空を見上げると、灰色の雲の流れが速かった。
地面を見れば、芝生と土が混ざり合ってぐちゃぐちゃになっている。
所々にできた水溜りが、雲の隙間から顔を出している太陽の光を反射して眩しい。
だが、私はそんなものには目もくれず、足早に庭を抜け、門を通り過ぎた。
門の表札を横目で見る。

『』

と、石に白い字で立派に彫ってある。
外見が立派すぎてムカツク。
外見ばかり立派だが、そう大して立派な施設なわけではない。

ここ、星羅学園は、さまざまな事情で保護者が子供を育てられなくなったり、保護者がいなくなって一人では生きていけない未成年が集められ、一緒に暮らすという一種の施設だ。

私もそのうちの一人。

ま、でも自分勝手な行動ばかりして、施設の奴らに煙たがられている問題児だけれど。
私は奴らから見放されている。
だから、自分勝手に行動して、施設を無断で抜け出て、色々なところに勝手に行く。
見放されているのはかえって私にとっては好都合なことなのだ。
+++

私の両親と兄弟は既に他界している。
事故、だった。
私が小学6年生のときだった。
学校の行事で泊りがけで出かけていたときに、私がいない間に、死んでしまった。
家に帰ってきたとき、私を迎えたのは、黒い布と、たくさん並んだ黒い靴と、お経の声。
玄関で呆然と立ち尽くしている私を、部屋の中から出てきた近所の人が見つけて、家に上がらせられた。
ドアを開けて、そこを見るとリビングだったところは葬儀場と化していた。
両親と、兄の写真が並び、お坊さんが木魚をたたきながらお経を唱えて、近所の人たちが線香をあげていた。
私は、もう何がなんだか分からなくなって、その場に座り込んでしまった。

どれぐらいそこに座っていただろう。
気がつくと、空は淡く紅色に染まっていて、ほとんどの人は帰っていった。
私の前に誰かが座った。

「ちゃん・・・」

私の家の隣に住む、おばさんだった。
たしか、私の母さんと仲のよかった人だ。
私はゆっくりと顔を上げる。

「おばさん・・・ねえ、みんなどうしたの?どうして、誰もいないの・・・?」
「白夜ちゃん・・・しっかりして。よく聞きなさい。あのね、あなたの両親とお兄さんは亡くなってしまったの・・・交通事故で・・・」
「死んだ・・・?」
「・・・ええ・・・」

おばさんは、ばつが悪そうにうつむいた。

「みんな?母さんも父さんもお兄ちゃんも?みんな、みんな?」
「そう・・・ねえ、白夜ちゃん、気をたしかに・・・」
「・・・行かなきゃ・・・」
「え?」

誰に言うとでもなく、そう小さく呟く。
私は立ち上がった。
おばさんは私を怪訝そうに見上げる。

「ちょっと、白夜ちゃん?行かなきゃって、どこへ・・・?」
「行かなきゃ・・・みんなのところに・・・行かなきゃ。」

私はふらふらと二階にある自分の部屋に向かって歩き出す。

「ちょっ・・・白夜ちゃん!!」

おばさんが必死になって私の服を掴んだ。

「やめなさい!何する気?!」

おばさんのヒステリックな叫び声が部屋に響く。

「離してっ・・・!!!私は行かなきゃいけないの!!」
「やめなさいっ!」

私はおばさんの手を必死に振り払おうとした。
だが、おばさんは頑として離さない。
そうしているうちに、おばさんの手が、私の手に触れてしまった。

「っあ・・・・!」

頭が割れるような鋭い激痛が、走る。
私はその場に崩れ落ちた。

「白夜ちゃん?!」

おばさんが私を受け止める。
生暖かい液体が私の頬を流れた。

「ずるい・・・みんなずるいよ・・・私を置いて逝っちゃうなんて・・・」
「白夜ちゃん・・・」

しばらくして、おばさんは帰っていった。
夕飯をうちに食べに来なさい、と言われたが丁重に断った。


数日後、私は施設に引き取られることが決まった。
両親の祖父、祖母は私がもっと幼い頃に他界していて、親戚はみんな子持ちなので、私を引き取れるほどの余裕はないという。
私は自分の荷物をまとめて、家は知らない誰かに売ることになった。

施設に引き取られてから、私はまったく笑わなくなった。
何もかもにやる気を失い、生きていることさえも苦痛だった。
毎日、自分が生きていることに何の意味があるのかをずっと考えた。
そのうち学校にも行かなくなって、施設の人に反抗もするようになって、私はどんどん孤立していった。


そうして、現在に至る。

+++

大通りに出た私は、適当に朝ごはんを済ませると、その周辺をぶらぶら歩いた。

いつもと変わらない毎日。

騒音を撒き散らしながら猛スピードで走る車。
道沿いに並んだ店から流れ出る音楽。
たくさんの人の流れ。
その声───
たくさんの音が混じり、一つのメロディーを奏でる。

そう、いつもと変わらないメロディー。

そして、いつもと変わらない私を取り巻く空気。

何もかもが変わらない。否、変われない。
私自身が何も変わらない限り、この毎日は変わることもないのだろう。
分かってる・・・
そんなこと、分かっている。
分かっているはず、なのに・・・

変わらないのが、現実なのだ。

イライラする。
自分に、この町に、この空に、この世界に。

消えてなくなってしまえばいい。
この世界が。

消えていなくなってしまえばいい。

私が。





迷 路 にさまよえる、

このちっぽけな存